2011年4月14日木曜日

コミュニティと非効率、地震とリーダー、理想のリーダーって?

今日は二つのことについて書く。
タイトルにもあるように、コミュニティと非効率について。地震とリーダーについて。
そんで最後に私の最近考える日本が必要な人間について。問いかけ。


この前久しぶりにCharter House(ホームレスの人たちのシェルター)にいった。
何組かはアパートを借りることができたらしくて出て行って、新しい人たちが入ってた。
チャーターハウスはバーモントの寒い冬の機関10−4月までしかあけてないから、四月いっぱいで閉められる。
それまでに部屋を見つけられない人は。。またホームレス生活。
いつもみたいにYuan(前尊敬するっていったシンガポール人)といったんだけど、彼は持ち前の愛嬌とオープンさと優しさでチャーターハウスの住人にとてもすかれてる。誰にでも態度を変えない彼は本当にすごい。
(アメリカって教授でも清掃員でも態度は一緒。彼らに対する生徒の態度も同じ。変にへつらうことなく平等に接する。自分であることに引け目を感じてないってかんじかな?私はこれ日本でしょっちゅう感じて、上の人と話すとき、友達ですらタイプによっては変わることもある。)
その日は夜ー朝のシフトで、結構時間があったこともあり色々話す。
チャーターハウスって一日に5シフト、そして一つのシフトに二人必要なんだけど、いつもマネージャーの人(無給)がメールまわして、”この日足りません””はいってくれませんか?”って声かけててほんっと大変だなっていっつも思ってたから、なんで人雇わないのかって聞いたのね。
それに対する答えがすごい好きだったから残しとこうと思う。
まず、人を雇うのはお金がかかるからまかなえないってのもあるけど(運営は教会)それよりコミュニティの意識を大切にしてるんじゃないか。とのこと。
日本にいるときは考えたことなかった、コミュニティ。学校とかゼミとか自分の深く関わるコミュニティ、自分が頑張って貢献しないと損する(もしくは得)コミュニティにしか興味なかった。
こっちきて、ミドルベリーって小さな町だからか知らないけど、地域で何かをする動きっていうのがすごい盛ん。
例えばこの前は”Chilli festival”っていって、ミドルベリーにあるお店一店一店が屋台を出してホームメードの辛い料理を振る舞うっていうイベントが町であった。入り口で三ドル払ってスプーンとバッジをもらう。何十店も、メインストリートに立ち並んでて、そこで小さいカップにはいった料理をもらえて、どのお店が一番おいしかったかってのを最後に報告。
(なんか5件目くらいで全部同じ味に思えてきて10個くらいしかたべなかったけど、友達は全部の屋台を制覇したらしい。)
とか、月に何回かfarmer's marketでローカルなものを売るイベントもあるし、
とにかく自分の住んでるところを意識した活動が多いと思う。大学のイベントもいっつも外から人きてるし。
しばしば講演会の半分近くがMiddlebury townからのおじいちゃんおばあちゃんたちってことも。

Charter houseもそれと一緒で、自分たちの住む地域のことは自分たちでやる。っていう意識があるから、大変ながらも続けてるんだと思う。
確かに非効率的かもしれないけど、効率で動くよりもっと大事な住人同士のコミュニティ。

例えば春休みに、バスで72時間かけてアメリカの南のNew Orleansn(カトリーナが直撃した場所)にいって1週間家を建て直すボランティアする企画があって私の友達何人もいってた。バスで片道36時間かけて、いってやるのは建築ですか?蝶非効率的。。って思う人もいるかもしれないけどこれも自分の国アメリカ、のコミュニティの意識形成なんだと思う。

町内会とか、地域の集まりとか、今ってどうなってるんだろ?引っ越す前はなんだかんだうちの親もひっぱりだされてたけど、引っ越してからは見ないな。
日本人ってめちゃ排他的だと思うから、参加しそびれたら入れない空気あるところもあると思うけど、時間がかかる長良もそのコミュニティの働きを利用してもう少しいいところになればいいな。
実力主義も大事だけど、コミュニティの意識も両立できればいいと思う。(親戚の集まりとかもコミュニティだよね)

まあ、Yuanはアメリカ人じゃないのになんでこういう考えなのかなと考えると、多分信心深いからなのかなと思う。
これいうと、いつも人前でお祈りしてる人とかって思われるかもしれないんだけど、そういう意味じゃないよ。
やはりキリスト教ってなんか関係あるのかな?それとも国なのかな?てか地域か。ミドルベリーっていう環境はほかと比べてもユニークなのかなと思う。



地震とリーダー
今授業とってる,humanitarian interventionなんだけど、この学期怖いくらいにこの授業でやってるところがおこる。
例えばリビアの件、日本の災害の件。(今度グループプロジェクトでNGOの災害対策についてやってSave the Children
に送る)リビアは、授業のケーススタディであつかったコソボの件に類似する点がいくつもある。NATOによる空爆は市民の死を防ぐのに訳にたったのかどうかとか。

そんで昨日の読み物で面白いこと書いてあったからちょっとのせる。
題名は"Public Leadership in Times of Crisis"

1Leaders need to formulate a crisis management philosophy, which can help to negotiate the inherent dilemma of repartion and reform.
-They must ha e a clear idea of what is worth preserving in their society, policy field, or organization. This can guide them once they are forced into the unfamiliar, chaotic terrain of a major crisis.(何が国にとって一番大事かを、社会、政策、団体、それぞれについてあらかじめ決めておく。そうすることで混乱がこっても冷静に必要なものの復興を目指せばいいから、急いで悪い決断を下すことはなくなる。)

2 Leaders should not push reform without considering opposite arguments. If they use the crisis to ignore critics, they will mobilize their own opposition at a time when their performance is already under scrutiny. (反対意見を考慮しないでおしすすめると、復興最中に問題が起こって結局失敗するはめになる)

3 Crisis-induced reform created exceptional challenges for the long term.
-successful leaders take the time to placate anone who may become involved during the implementation states, crisis decision making tends to be exclusive. (政策を決める人たちだけで長々と時間かけて、勝手に決めるなってことですね)


philosophyってここでは言ってるけど、そんな哲学っていいほどのことでもない。首相になるくらいだったらこういうことは決めてからなってほしい。言う葉安く行うは難しだけどね。とりあえずリーダーがきょどるのはやめてほしい。
今の国の対応とこれを照らし合わせて、どう思う?これからどんなリーダーが必要だとおもう?

リーダーは実力があり、かつ非効率だってことを理解しながらも、コミュニティを大切にして仲間一緒に動くことができるひと(それにはいろんな素質が必要だと思う。例えば忍耐とか)そんな人がふさわしいと思う。そうなるためには、自分の役割の目標とか理想を持つ事、まあここで言う”philosophy”を持つ事は大きな助けになるんじゃないのか。

1 件のコメント:

  1. 一生懸命長いコメントを書いたのに何か消えたぞw

    ゆーこがいってるのは政治にせよ何にせよリーダーは「コミュニティを大切にする」っていう哲学(理想)を持つべきだってこと?

    日本の政治は間違いなく変わらなければいけないと思うんだけど、リーダーがそういう理想を持つと今の政治の何が変わるんかいな?

    私は、日本のリーダーは一種の強いコミュニティ意識を既に持ってると思うよ。その代り、コミュニティの一部を切って(彼らからの要求を却下する)、それ以外の大多数のコミュニティに奉仕(Serve)するって力が足りないから、日本の政治はいつまでも解決すべき問題に取り組めないんだと思ってる。

    例えば、日本は負債を減らさなきゃいけない。そのためには歳入増か歳入減をしなければいけない。でも、増税は国民から理解が得られないし(選挙で負ける)、かといって社会保障費を減らして老人を苦しめることもできない。みたいなね。

    ごめん、ダッシュで書いてるんだけど、言ってること意味をなしてるかしら?w

    ほいでは

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