2012年11月30日金曜日

人 領土 だれのもの 

http://www.nytimes.com/2012/11/30/world/middleeast/Palestinian-Authority-United-Nations-Israel.html?hp&_r=0 http://japanese.ruvr.ru/2012_11_30/paresuchina-kokuren-shounin/ ”国連総会の支配的多数の賛成票が投じられ、パレスチナ自治政府に国連オブザーバー国家の資格が与えられることになった。賛成138票、反対8票、棄権41票。反対票を投じた国の筆頭は米国とイスラエルである。” 確かにこの日本語の記事が言うように、国連オブサーバー国家の資格が与えられたからといって、国になった訳ではなく相変わらずイスラエルとの争いは絶えないという意味で変化はないんだろう。 だけどパレスチナ国民(私はチベットも国と呼ぶ)には本当に嬉しい事なんだろうな。書いてあるように、”「格上げ」後、パレスチナはすぐさま国際刑事裁判所にイスラエルを訴える可能性がある。新しい法的地位が、それを可能にする。”こういう権利も得るんだ。 国連にはこんなに大きな力があるんだね。 ってか国連って何だっけ? ウィキペディア先生曰く”国連は国際連合憲章のもと(何だこれ)1945年に設立された国際組織である。国連の主たる活動目的は国際平和の維持(安全保障)、そして経済や社会などに関する国際協力の実現である。” このパレスチナの格上げ、アメリカとイスラエルは反対したらしいけど。あれ、なんか学校で習った「常任理事国」が一カ国でも反対したら否決になるんじゃなかったっけ。 これまたウィキペディア先生によると、常任理事国は安全保障理事会に置ける議決だけに拒否権を持っていて、その他の決めごとは総会において”各国が1票の表決権を有し、重要問題については3分の2、一般問題については過半数で決する多数決制が取られている。”ただしその決定に法的拘束力はないらしい。 前国連で働いてた先生(開発分野に興味を持った本当に一番の発端になった慶應の先生)は「Fuck UN」みたいな事をたまにいってて、どんだけ本気だったかは知らんけど、言葉遣い元から悪かったしwまぁよくない面もあるんだろうが、こういうでっかいニュースがあると、すごい組織だなって思う。 (つってもパレスチナの件は65年のinjusticeと言われてるくらいかなりの時間がかかった結果なんだろな) 私はチベットがこの状況になるところも、ニュースからでいいから見てみたい。 中国とか、なんでパレスチナの独立は認めるのにチベットは認めないんだろ。。 はたからみたら状況かなり近いと思うんだけど。 てかなんで国連はパレスチナの問題は解決できるのに(アメリカっていうおっきな国がバックにいながらも決議案を通す事ができた)なんでチベットはだめなんだろ? いわゆる「組織内政治」って言われる、実態はよくわからない組織内現象なんでしょうか。 政治だとしたらその政治がどうなってるか分からないし、その他の事が要因ならそれが何かもわからないし、どっちかが正しいのかどうかも分からん。。。 でもさ一つ言えるのって、その土地がどこの国の者でそこの人が何人かって完全に、周りの国によって決まってない?パレスチナの独立に賛成したら経済的支援が得れなくなるとか。。 そんな理由で今までこの議決案は通ってこなかったんだろう。そこに住んでる人が何人になりたいかで決まれば良いのに。なんでそんな簡単じゃない事になってるんだろ。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%98%E5%9C%9F%E5%95%8F%E9%A1%8C#.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.88.A4.E4.BE.8B.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E8.A6.8F.E5.89.87 面白いの見つけた。 領土問題のある世界の国々。(チベットのってないw) めっちゃいっぱいある。。。 南極とかも領土問題あったんだ。。笑  誰の者にもしないっていう選択肢はないのか。。 こんなこと書きながら自分は良識のある常識的な人間だと思っちゃってる私。 みんなそう思ってるんだろうね。(ちなみにオバマがパレスチナのリーダーに電話して今回の事批判したみたいだけど、本当はどう思ってるんだろ。あの人は弱い者の味方なんだと思ってたけど。やっぱ国のためにしてるのかな。てか金のため?) そんな常識のある私が、例えば十年後にチベットが議決案を提出して投票する立場にある時。。中国の顔色を見て、日本に住んでる家族を思って、日本経済のことを考えて、チベット独立賛成票を投じるんだろうか。Yes, I will.といつまでも言えるようになりたいけど。け ど。 やっぱこういう大きな組織でやってくのは難しいよ。正直になるばかりが良い事じゃないから。ネガティブな結果は自分の身にも降り掛かってくるから。すぐ顔にでるし言っちゃいけないこと知らずに言っちゃうし。 全ては下から上へ変わってけば良いと思う。そこに住んでる人がそういってるから、その国はその人たちの者です。っていうのが通る世の中に。。なる。かな。少なくともそうなるための手助けになれたいと思います。

2012年8月23日木曜日

えへへ

ちなみにさっきの写真はアザミではありません!

なーつがすーぎー

なーつーがすーぎーかぜあざみー あざみっていいなーなんかきれいだなー はーちーがつーはー夢花火 あーーーあーあー 本当にこんな花みたいになりたいなぁ!

2012年4月2日月曜日

wow its been years...

ブログ、かこうとおもって、書いてませんでした。
だって一番色々かきたかったネパール、計画停電しててほとんどネットつかえないんだもん!
首都でさえ一日3−5時間しか電気通らないって考えられる?られませーん。
そして明日から仕事はじまるって。それも考えられませーん。
そしてもうねなきゃいけない時間なので読んでくれてる人には申し訳ないけど自分への記録として浮かんできた事をぶちまけます。よみにくくてわかりにくくてごめん。

結局、チベットは中国が3月10日のuprising dayを懸念して4月まで入国禁止にしてました。(チベットの場合正式には入「境」という。国ではないからね。)
今回は一人という事で、ほんとに色んな人と接する機会があった。多分一人じゃなかったらこういうことにはならなかったと思う。特に嬉しかったのは、インドからネパールにいくぽんこつバスの中でイギリス人のおっちゃんに会って、その人が偶然チベットの難民支援をネパールでやってたこと。そしてチベットにいけないことが数日前に判明した私には、本当にラッキーな出会いで、彼のもとで2週間手伝わせてもらったこと。
客観的に見たらすごく珍しい機会に恵まれたんだけど、手伝ってる間はそれをしてることが本当に自然で、特別とか思わなかった。おっちゃんはリチャードといって、今はタイにくらしてて、(タイではドキュメンタリーの監督をしているらしい)40年くらい前にネパールとイギリスでトレッキングの会社をして、イギリスで事務をしながらも毎年何回かネパールにして山登りをしていた人。彼は現在一人でTrek Aid (http://www.trek-aid.com/)という非営利団体(団体?笑)をしている。タイでfund raisingを西洋を相手に行い、年に二回ネパールに訪れチベット難民の支援を行っている。団体とはいっても一人で全てやっている。彼のやり方は、年に二度訪れるときにある程度の金を用意し、難民キャンプの代表たちに必要なものやイベントやトレーニングなどを提案してもらいそれに金を渡す。もちろん西洋のドナーに金の使い道の説明責任があるので、簡単には金はあげない。でも、彼は自分から提案したりはしない。(あの時は気付かなかったし、むしろ自分から提案しないことに対してある意味passiveな印象を受けたりもしたが、あとから、タージであったイスラエル人にこの話をしたときにこう言われた。「多くのNGOが勝手に提案し勝手に実行しているのをみてきたから、リチャードが難民たちに提案させてそれに金を渡すというやり方は面白いと思う」)もうネパールに40年もいるから現地のチベット人とはもうかなり親交がふかく、なにやるにも相互に助け合い、一人でやれている。更に、チベット人の女性を戸籍上なのかどうかわからないけどadoptしている。その女性、Chimeは明るくてまっすぐでおちゃめな人だった。初めてリチャードにあったとき、「you have something similar to my sister」といわれたのを今思い出した。あんないい人じゃないとおもうけど、そういう印象を持ってもらえたからこそ、あそこまでやらせてもらえたんだと思ってる。大金の管理から、ドナーへのレポートの執筆からその写真撮影までやらせてもらって、すごく嬉しかった。

もう時間ないから、明日の朝余裕があれば仕事内容をもっと書こうと思うけど、この経験からのoverall impression and thoughtを書き残しとく。
まず、フィールドワークが多くあったこの仕事が私は好きだった。医療費補助の仕事があったんだけど、そこで多くのチベット人と面談したり、訪問したりして家にあがらせてもらったりして、生活を見れたことがすごく嬉しかった。そして、補助金を渡したときに泣き出す人、手を合わせて感謝してくれるひと(私なんか何もしてないのに)に会えたことが印象に残っている。
チベット難民キャンプ内にもいろんな家庭があり、それなりに裕福な人からかなり貧乏な人まで様々。でも難民キャンプ自体はもう50年以上も存在しており、人が創造するような数ヶ月前に人がきたばかりで人々が荒れ狂ってるような難民キャンプではない。だからもうキャンプとはいってもできあがってる村にもみえたりする。だからこそ、普通では非日常と言われるようなチベット人の国外逃亡生活の現実はもう日常になってしまっている。そういう風にネパールの一部としてなじんでしまってるからこそ、普通の村に見えるからこそ、見落とされるとどうしようもなくなってしまう家庭が多い。家族にはそれぞれの事情があり、コミュニティにはいっていってそれを見つける事が必要になるとリチャードはいう。
そういう視点を持ち、助けているというおごりもなく対等に相手と接する姿は、そうあって当たり前なんだけど感銘を受けるところだった。自分もそうありたいと思った。
そして思ったのは、この活動を何十年も続けてる、続けて来れてるのは、彼が必ず毎年ネパールに戻ってくるから。いつ戻ってきても大丈夫なように家があり、家族があり、長年連れ添った友達がいる。からこそでsustainableにできる活動なんだとおもった。よく問題視される、その場だけの援助、があるけど、ずっと続く援助をするには(大きい団体は例外として)「活動基盤(家)、家族、コネクション」が必要でそこに根を張るくらいの気持ちじゃないと絶対にずっとは続かない。いつかは切れてしまう。ちなみに何故りちゃーどがこの活動を始めたかというと、彼に言わせると"almost an accident"である。(そんないいかたも好き!笑)彼は仏教徒なんだけど彼のguru(師匠)に命ぜられたんだって。彼の言う通り仏教は"more like a philosophy, not a religion"だから、宗教に導かれたというよりは、尊敬する人からの命令を忠実に守った事が始まり。
あとやっぱね、あやさんのやってるフーヒップ(http://www.phu-hiep.com/)だったりマザーハウスだったり、こういう仕事はすごく憧れる。今回の仕事はビジネスでなく完全なcharityだったけどそういうところで将来は働きたいなと思った、し、初めてそれが淡いゴールになったような気がする。そういう小さな考えを頭の中に定着させるきっかけになったことが今回の旅で一番大きいと思ってる。明日からはファイナンスの仕事です。しゅあがメールでdevelopment organizationでのファイナンス職のポジションに関してのメールを送ってくれただけど、そういう仕事に将来したいと思う。こういうdevelopment organizationで働く場合、大体3-5 years of experienceが求められるみたい。そして大学院だけど、別に大学院が必要か必要じゃないかわからないけど、大学を4年で卒業した分一年はそういう時間をとっても良いんじゃないかと思ってる。
こんな色んな「思ってる」がどう社会人の数年で変わるかは怖いところであり、楽しみなところでもある。
いつもその時思ってる事を書いておく事はいつか振り返ったときに自分の助けになるでしょう。多分。


そして、最後に本文とはまったく関係ないけど、最近some of my great friends are striving to achieve (or to figure out) their goals. それだけじゃなくてfbとかみてると周りには勇気のある人が多いなと思い、友達からもばかにされるレベルで知識がなくいろんなことに興味もない自分と違い、頑張り屋さんの彼女たちには尊敬の念を感じると同時に焦りも感じる。これからも期待してます&お世話になります。笑

ってなかんじでそろそろねまーす。一分間スピーチ考えなきゃ。まじで。おやすみなさーい。

2012年2月7日火曜日

明日のジョー

インドもしかしたらチベットに行きます。
ただの旅行になりそうだけど、数十万かけていく旅が自分のものだけにならないようにできれば良いと思います。

インドってyoutubeで検索したら上のほうにヒットしてきたもの。
インドの女性が巻き込まれる性産業
http://www.youtube.com/watch?v=iw-qZy3RTxo

どこに旅行にいこうとおもって、世界地図を見てたときに、「安全」を旅行するにあたって意識しないでいける国っていうのが少ないと思った。

地図を広げてアジアー中東をみてみると
http://atlas.cdx.jp/nations/asia/asia.htm
この国の中から、気兼ねなく女一人で旅行にいける国って何個ある?
私は、未知からの勝手なイメージもあるかもしれないけど、どこも何かしらの負のイメージがついてきた。
更にアフリカのほうまで目を広げると、どうだろうか。

日本でも危険を感じるところはなくはないんだろう
でも基本的に真夜中でも一人でぶらぶらできるよね。
売られる心配のない国

日本で危ないっていったら、関西のあいりん地区とか有名みたいだけど。
そういえばこの前山谷にいってきた。明日のジョーの最初の方の舞台でもある。
差別されていた人たちが住んでいたことで有名な場所なんだけど、現在は日雇い労働者が集まる場所なんだろう、一泊2000円「全室個室、カラーテレビ付き」とかの格安ホテルがたちどころに並んでいて、それの大半が「満室」
海外旅行者が安宿を求めて最近はきたりしてるらしくて、トランクを持った外国人とか何人かみかけたけど、彼らが好んで泊まりたがるようなところではなかったかな。それより、中年の男の人がママチャリにのって、ゆっくり(このスピード感は印象的だったな。いそぐでもなく、かといってノロいわけでもなく。あてがあるのかないのか。)町をこいでるひとのほうがたくさんみたかな。
昼間にいったにも関わらず、たくさんの店にシャッター。
ウロウロする中年の男の人。
商店街の入り口にたむろするホームレスがジロジロみてくる。
まあこんなかんじ。

日本の貧困は私がちょっとだけお邪魔させてもらったアジアの国とかの貧困と比べると、かなり良い方。
ただそれは、名門大学に通う私からしたら、「よかった」っていうことになるんだけど
でも商店街に寝転んでたホームレスからしたら「だからなんだ」。小規模でも大規模でも貧困に生きてる人は文字通りその数だけいる。

地図をみて、私が負のイメージをもった場所。そういうイメージを持つ原因は大きく分けて戦争と貧困だとおもう。宗教とか腐敗政治がひきおこす戦争。それと貧困。
なんで貧困になるのか?
答えは色々あると思うんだけど、貧困は雇用がない/あっても正当な給料が払われてないからだと思う。
当たり前だけど完全な自給自足ができない限り、人は何かしらによって金を与えられて生きる。その一般的な方法である「雇用」が不足しているから貧困者が多い国がたくさんある。
貧困の場所に、人の数だけ安定した雇用があったらどうなるんだろう。

友達で東南アジアで女を買ったってひとがいたけど、ちゃんとその人にお金がいけばいいのかな。
好きじゃない仕事をしてる人なんて世の中に五万といるんだから、それに見合った対価が払われればいいのか?

物があふれる中で人が最も傷つかない方法で雇用を生む。
供給があふれる中で、同じものでも何を買っても良い中で、職業を選ぶ特権のある私たちが何を買うかはこれからを大きく関わると思う。
http://www.phu-hiep.com/
http://www.mother-house.jp/
こういうことを始める力のある人を私は尊敬するなぁ。


てかここで書いてる事は自分でもよくわかんないで書いてるし間違ってる事も言ってると思う。友達に、何が言いたいのかよくわかんないとかも言われる。かとおもいきや、絶対見てないと思ってた高校の友達から感想のメールがいきなりきたりする。アクセス数とか見ると、このブログ見てる人がいなくもないみたいだから、読んでなんか思ったらなんでもいいから言ってほしいと思います。

2012年1月11日水曜日

Naive

今メディアで卒論書いてる(書いてる?)
テーマはソーシャルファイナンス。
ソーシャルファイナンスってのは、銀行が預けてもらった金をsocially goodなことに融資すること。
例えば社会問題解決を目指す機関に融資だったり。
大企業とかじゃなくて信用が低い個人だったり名のない機関に対して少し高い金利を設定して金を貸す。
ヨーロッパとかでは、自分の預けた金がどのように使われる買って言う事に関心がある人が増えてきていて、こういう仕組みが成り立っている。ソーシャルファイナンスもマイクロファイナンスと似てて、金融サービスを受けられる人々の範囲を広げたって意味で画期的である。
日本ではほとんどといっていいほど広まってない(NPO momoとか、非営利な物なららいくつか。ミスチルとコラボしてるAPバンクとかは有名だね)けどソーシャルファイナンスの日本での可能性について見てる。

留学から帰ってきて半年以上。
おかげさまで、ほんっっとうに色んな人に助けてもらって、就職も決まり、あと試験と卒業のみ。最近はわりかし楽しい生活を送ってて、酔っぱらって終電逃したりもしばしば。なんか「安住」してる。楽だ。
ただ、就職=自分の未来を考えて、未来に夢を託して、「今」は何もしなてこなかったなと思う。
現実と言い訳の狭間で良いところに就職して、4月から社会人になるわけで、社会人になる事は大事な事で、私的に人生でやらなきゃいけないことが4っつくらいあったとしたらそのうちの1つはチェックマークがつく気がする。

人生を二つのタイプに分けるとする。
攻撃と防御
攻撃するにはうまい防御を身につけて安定した土台で攻撃するのが良いんだろう。
だから防御は必要。
でも防御をして、安心してしまうことが、多い。
丈夫な鎧を着てそれが重くて動けずにいるか、その鎧を身に着けて戦いに出るのか。
鎧を身に着けずに戦いに出て刺されて死ぬのか。
戦いに出るのが人生の目的なら、後者でも良いと思う。
私は就職して、多分これから防御を身につける。

鎧を着ずに無防備でいつ刺されるか分からない状況に立つ事は、これからあるんだろうか。怖いんだろうなー。
そういう世界があるのを知りながら、その覚悟ができていないことをNaiveとよぶんだと思う。

別にすごい事したいとか、そういう願望はないけど、「こういう状況だから、自分の望んでた環境にいる事ができない」っていうのはないように。チャレンジできる環境にいるのに、しないのは無責任と、私がトルコにいるときに誰かが言ってくれたけど本当に無責任。
自分がhandleできるスケール以外で計る必要はないけど、一度は攻撃してみないと、無責任で終わっちゃうんでしょうか。
責任と言えば、社会人になったら自分の責任以外にも3重くらいの責任が輪になって重なるってくるんだろうな。笑 鎧+おもりじゃ、動けないかー。

そんな鎧なしの、ヒヤっとした経験をテストが終わった後のの旅行で少しできれば、今はやり残した事はないってことにして4月を迎える事ができるんじゃないでしょうかと言い聞かせてる次第でございます。

ポジティブにーポジティブにー