2009年12月29日火曜日

日付戻って・・。

書いてなかった分、簡単にだけど載せます。
今日のブログ一個前のに載せてあるから、そっちもみてねー。


24日、25日はフィリピン大学の大学生にマニラ案内してもらった!
来てくれるのはゴリラとギャルって前から言われてたんだけど、まさにってかんじでした笑 だいさんと梓さん。あと唯一ふつうのあだ名のひろぽんさん。あとゲ○のフィリピン人マービン。彼(彼女?)は口が達者すぎる。何度こてんぱに言われたことか。

モールにジープでいって24日はボーリング!!久しぶりにボーリングみんなで3ゲームかけてやって楽しかった!
ゆずると大さんがターキーまであと一歩で惜しかった。ちなみに2ゲーム目のあたしの得点は62。ゆずるの最高得点185!すげー。
その後お酒とかいろいろ買ってホテルで飲み会!!
ちなみにこっちの物価は日本と比べ物にならないほど安い。四分の一~五分の一くらい。
夜はミーティングのあとの気晴らしも兼ねて飲み会。完全に飲みすぎて、あたしかなりめんどくさくなったらしく、まあ覚えてるんだけど覚えてないことにして。。とりあえず次の日は午前中は二日酔い。とんだクリスマス!

25日はジープと電車に乗ってまたマニラの別のところにいってみんなでごはん食べたり話したりした。クリスマスだけあってだいたいのお店はしまってた。さすがクリスマス。でもフィリピン人ってほんとに稼ぐ気ないんだなって思った。笑
タクシーも、「おなかすいたから降りて」って言われたし。確か
タイでも混んでるから降りてっていわれたし、どうなってんだ東南アジア。
この日は夜、ロデールっていうメンバーの知り合いの方に食事につれてっていただいた。その人は大学時代アルバイトしていた飲食店のマネージャーを卒業してから勤めて、その後シティバンクに勤めて、その後国の機関につとめて、その後日本人向けの観光会社のガイドをやっている。とても賢い人で政府の機関とかに勤めてたにもかかわらずやめて今ガイドの仕事をとても楽しんでいる。そして彼は月に3、4度自ら食事を作ってストリートの子供たちに分け与えたり、体が不自由で動けないストリートの人の手伝いをしてる。フィリピン人の上層部の人たちは貧困層に興味がないとよく言われているけど、こういう人もいるんだなって思った。同時に、大学を卒業しても職に就くのが難しい今、好きなことを仕事にできるロデールさんはラッキー&素晴らしいと思った。なんだかんだ日本でも好きなことを仕事にできる人っていないんじゃないかな?うちの母親はそういう面ですごいんだろうなと思った。

26日
午前中ゴミ山にいって午後ダウン。たぶん原因はクリスマスに飲んだ後に布団かけないで寝て夏風邪状態になったこと。。ゆずるに言われたように夏風邪はしつこい。気分悪いのは治ったけどせきがいまだにとまりせん。夜はふつうにホテルでごはん食べて寝る。ちょっと今とまってるホテルについて書くと、今とまってるところはフィリピン大学っていう日本で言う東大みたいなとこの敷地内にあるホテルにとまってて、主に教授とか大学関係者が泊る施設らしい。でも最近のクリスマスシーズンには子供から大人がパーティーしてる。たぶんフィリピンの中では最強に安全だとおもう。全くホテルっぽくないど(てのは、フロントに全く観光情報がなかったり、場所尋ねても知らないって言うし)ごはんもリーズナブルでおいしいし、無線ラン飛んでるし外で爆竹がなってること以外は静かだし、なにげにバスケットコートもついてて、この前ボール買ってときどきみんなで遊んだりしてる。
つまりとっても安心できるホテル。きれいではないが、すごしやすい。特大ゴキブリにちょくちょく遭遇するけど許せる。

27日
朝マザーテレサの家にいく。
インド発祥のマザーテレサの家は別名「死を待つ人の家」
意外にもゴミ捨て場の近くにあった。
建物は大きく二つに分かれていて半分はおじいさんおばあさんがいるところ。もう半分は子供たちがいるところ。だいたいの人が身寄りがなくて障害を持っている。マザーテレサの家にはボランティアさんもたくさんいて、お年寄りの方の場所ではちょうど昼時だったからご飯とか食べさせてあげてた。
子供のほうの建物にいくと、いたのは全員ベッドから動けないような小さい子や障害を持った子。目があらぬ方向を見てる子とか、何話しても反応しない子、ずっとよだれ垂らしてることかたくさん。
最初は自分が来たことが場違いだと思った。ケージにはいってることか、ベッドに寝ていることかを見下ろす形で見学してたんだけどなんかなんて言っていいかわかんないからパス。
日本にも三軒あるらしいから、行こうと思った。
日本では児童養護施設とかを初めとしてそういう施設には絶対出向かないのに、海外にいると何いいこぶってんだろうなー。でも他国の状況って深刻に見えるのって隣の芝は青いっていう表現とは違うんだろうけどなんか違くない気がした。意味わからん。


そこでケニア出身のシスターロザリーナと話した。
彼女は大学を出てすぐマザーテレサの家で働いた。初めはスリランカにいて、今に至り、またスリランカにいくという。この仕事を始めて9年。ステータス的には一番上の青色のエプロンをしていた。
「いやな思いしたらすいません」・・から始まって結構いろんな事聞いたけど、相手の英語がよく聞き取れなかった。笑 でもこういうときにほんとある程度だけど英語使えてよかったなって思う。(やっぱ第三ヶ国語なんかやりたいなっておもった。)
いやでも、すごいなーっておもったのが、女の幸せともいわれる結婚を放棄してまで(今は古いのか?)この世界に入り込んでるシスターのみなさん。毎日四時において毎日五回お祈り。しかも一回一時間。最初のお祈りは五時に始まる。
お祈り中寝ないの?ってきいたら笑われた。
話を一通り聞いてから、彼らにどんな過去があったんだろうっておもった。。。相当虐げられてきたのかなとか。ってのは違うけど、どんな風に育ったらこんな考えを持つんだろうって。
神に一生捧げる???まじっすか?って思っちゃうのは日本人だからかね。

彼らは遠い存在過ぎて尊敬なんて言えたもんじゃなかった。


午後は相変わらず建設作業。
と思いきや。日曜だから大工さんたち働かないとのことで。
子供たちと遊びながら自然とお宅訪問の流れに。
今日はいつもいくゴミ山とは逆方面のほうの子のおうちにいきました。
その子ジェシーっていう男の子んだけど11人兄弟の10人目。
まわりのうちと同様つぎはぎだらけの家に住んでいる。家族が多すぎて、時には外の床で寝るらしい。
でもみんな幸せそうだったな。

なんでだろーあのへんの子供たちと絡んでると、街中の子供があんまりかわいくみえないんだよね。それってやっぱなんかあるよね。




ここにきてもうほんとうに私黒いです。
成人式は真っ黒で臨むことになりそうです。

現場の本音

本当に貧困は解決しなきゃいけないのか?
っていう内容で前かいたけど、そんなこと滞在一週間の私が言えることじゃなかったと思ってる今は。

 
今日は朝から2人の日本のお客さんが参加して一緒にアロマをまわった。一人は、世界を四年間放浪して教育の重要性に目覚めて通信で教員資格とって今は都立の高校で教えてる方。二人目の方もバックパッカーで面白いことしてそうな人。
そして今日はあずささん大さんひろぽんさんまーびんも一緒にアロマにいった。

今日は何が楽しみだったかって実際にスカベンジに参加できる日だったから。
スカベンジ=ゴミ拾いで、スカベンジャー=ゴミを拾う人
アロマの人々は9割以上がスカベンジャー。あとは炭を作る人とか。
彼らはゴミをひろいまくって一日何キロものゴミをジャンクショップに売る。売れなければその日の収入はない。

本当は政府からは写真を撮ることすら禁止されている地域にいってみんなとゴミ拾い。
スカベンジ用の小さな道具をかってゴム長靴をはいてゴミ捨て場に。

なんかもうカオス・・。
生ものの残骸、プラスチック、ネズミの死骸なんでもあり。
臭くて鼻で息吸えない。数メートルにもなってるゴミ山に更にトラクターからのゴミが押し寄せる。そこにみんな群がって我先にってかんじでゴミ漁る。
しかも動いてるトラクターのアームにまだはいってるゴミにまで群がってるから、ほんと危ない。
こんな場所からみんな、「使えるゴミ」を探し出して袋に詰める。
私たちにとってはゴミでも彼らにとっては日々の収入源。
あたしも必死に使えそうなゴミ探すけど、何が売れるのか売れないのかわかんないから近くにいるおばちゃんにいちいち
「これいい?これは?」とか聞きまくる。

ゴミに必死に群がってるひとたちもいる。かたや、あたしに使えるゴミを渡してくれる余裕のある人もいる。それはやさしさなのか?余裕があるのか?わかんなかったけど。

スカベンジがおわったと、みんなでジャンクショップに換金しに行く。
はい本日の収入16ぺそー。日本円にして約32円。いがいと売れるんだなってのが感想。

それから、いつものように建設作業を手伝う。
でも今日はほんとやることなかったな。笑 セメントづくり手伝って、運んで、あとは群がる子供たちと遊ぶ。子供ってすごいね。何あのパワー。

帰りは初めてジプニーと電車乗り継いでかえる。片道二時間弱。井口さんほんと尊敬です。
まーびんおすすめのお店にいったんだけどそこちょーおいしくて感動!さすがまーびん☆

今日の夜はホームステイに行くか行かないかでチーム内で意見が割れる。前々からいくかいかないかは議論に持ちあがってたんだけど、行くとしたら明日ということで話は大詰め。話は金銭面、安全面、衛生面の3ポイントに絞られる。
(金銭面:ボディガードに渡すお金 ホームステイ先に渡すお金)
あたしは俄然行きたい派で、数日間の流れでそういう方向になってて、結局行きたい人だけいくっていう結果に。あたしは次の日のホームステイに備えて早く寝ようとしてずっとブログ書いてたんだけど、途中でメンバーに呼ばれてまた話し合いに。

話し合いの内容は、結構ショッキングなこと。私たちがホームステイをするって決めたことで、実際に怖い体験してしまった方にそれを話させることになってしまった。

ホームステイしたいって思うまでの考えが間違ってたとは思わない。だけど甘かったなって思った。現地に行って数日現場を見ても所詮はお客さん。昼間にこにこ笑ってる人たちを見ても、夜彼らがどう変化するかわからない。お金が絡むと人は変わる。現地にきてわかった気になってた自分にお疲れ様ってかんじ。

写真も大部分公開します。撮って自分のパソコンにいれて満足なんてバカみたいだからどうにかしてうまい具合に公開したいんだけど、どうすればいい??ネット上でmixi以外だったらどうやって公開すればいいかな?mixiだと一眼の写真重すぎてアップ遅すぎるから。なんか知ってたら教えて。

なんかこんな話があがると信じられるのは子供たちの笑顔だけな気がするね!
ほんとにかわいいから!毎日飽きもせず絡んでくるし笑

っていうことを思った10日目でした。

2009年12月27日日曜日

感動

今日ブログ開いてみたら前回のブログのコメントにみんながいっぱい書き込んでてくれてうれしかった!
読んでくれてる人がいるってのもそうだけど、ひどいあたしの文章から何か感じてくれたからかな!
みんなありがとーー。

24、25はちょっと一休みってことでフィリピン大学の日本人のみなさんと一緒に遊んでめっちゃ楽しかった。笑

しかし今日はダウン。。風邪ひいた。。

また書きます。この3日思考停止なかんじで。

2009年12月23日水曜日

貧困撲滅

そんなん無理って思った。
学校での授業で見た数字や文献からは、貧困は解決しなければ!!とか思ってたけど
実際そんなことないんでねーかとこっちきてから思い始めた。


っていうかそもそもする必要もない気がしてきた。
そんなんはリアルおせっかいであり、それだったら自分の国のひきこもりとか心しにそうな人助けたほうがいいんではないかと。


今日は午前中いつもいくごみ山から少しいったとこで、また同じくごみをうって生活する人たちの地域にいった。
いつもボディーガードは監督が地元の人に頼んでるんだけど、今回はその人たちが特に必要な土地。
そこはいつもいくアロマごみ捨て場よりひどい。汚い。臭い。
アロマが最低レベルだとおもってたからびっくりした。さらに奥に行くとさらに臭くなった・・・。
てかアロマのひとたちはごみ山はごみ山で生活する場所とはびみょーにだけど別れてるけど、ここの人たちは町から拾ってきたごみを自宅付近に持ってきてそこで分別なりなんなりしてるからカオス!!!
本当に臭いし汚い。
でもそんな中でもみんな音楽かけて子供たち超爆笑して遊んでて、ごみ集めてる大人も笑いながらmerry christmasっていってくれて、この人たちは不幸なはずがないとおもった。

ほんとーに日本と違いすぎる。
監督曰く、900万人ほどいるマニラの人口のうち三分の一がスラムで暮らしてるらしい。
=300万人

本当にこの数字納得しちゃうくらい町にはふつうの家ってもんがあんまり見当たらない。まあそんなに住宅地があるところ言ってないからかもしれないけど、大通りの隣にある家はだいたいスラム。



必要なのは人々のやる気とシステム。
そもそも貧困層のフィリピン人はその状況を変える気がないと思う。
アロマ仮設住宅に住む人たちのところにはこの夏だけでも数十団体のNGOやらなにやらが訪れている。
ともこ(小倉さん)と話して、各団体が一万円ずつ寄付していったらそれだけで新しいシステムができるんじゃないかと。
まあ実際一万円寄付してるわけじゃないけど、それにしてもそれぞれなんらかのアロマに住む人たちに役に立つことはしてるはず。
例えば、前も書いたように家を建て直すとかとか

でもそれって彼らがあの場所から抜け出すための手助けでは全くなくてむしろ推進してるというか・・。

そして何より、もう一回言うけど彼らに今の状況を変える気持ちがない。
「今の状況を変えることをあきらめざるをえない過去とか歴史があったから」

今の生活から抜け出さなきゃっていう気持ちがあってはじめて先進国の私たちが何かシステムなりなんなりを提案してあげられる!!って思った。

ごみ捨て場にすむひとたちの中には子供を大学に行かせてる人とかもいる。
でも家にはお金たりないんだって。
それはお金を貯金するっていう考えがないかららしい。
食べるのも好きだから、全部食べ物にお金使っちゃったり。(それでも食べ物は足りてないんだろうけど。4歳に見える7歳児がたくさんいることもその一つの理由)
貯金のシステムを教えるっていうのも一つの方法なのかなっておもった。

子供たちに選択肢を増やしてあげたい、ってのは無理だけど普通の人なら可能な選択肢を見せてあげたい。
そしたら生活を変える原動力になるんだろう。
ちゅーしょーてきだなーー


明日は監督が帰国します。
これから11日間の活動で何ができるか!

お葬式

今日もごみ山にいったらいきなり衝撃的なものに出会った。
子供のお葬式だった。

正直あまり何も思わなかった。
その子供の死体はきれいに死に化粧してて子供が持つ人形みたいだった。

小さな棺桶の上には寄付金の容器があって、その中のお金が本当の葬式代を賄えるほどになったら葬式をするらしい。まだまだ葬式資金には足りなそうな額がわずかにはいってた。


今日はお宅訪問&服とプレゼント配布。

あのごみ山コミュニティのなかにも物質的な貧富の差はあって、私たちはバスーラ基金の60人の子供たちのうちをまわって色々あげてたんだけど、その60人の家は基本的に他のNGOとかによって建て替えられてたり支援されてたりしてまあきれい。
そこの子供たちもごみ拾いもするけど学校にいけてる。
そういう子供たちに色々あげてて、その隣の金網でできたような家は素通り・・・
はい、でたすぐ顔に出る性格。相当ひどい顔してプレゼント配ってたと思う最悪だった。


夜かえって、山本さんとみんなでまたお話して、えとせとらー

まだ3日目だし仕方ないと思うけどまだまだまだまだまだ全然現状見えてないしまあ二週間ちょいじゃ見えるはずもないけどもっとあの場所を知らなきゃって思いました。


今日は、まじ狭い家でも家族が一緒で楽しいっていってたおうちに乾杯。
明日写真のっけますー


なんか毎日早く寝よう早く寝ようとおもっても結局みんなと話してて毎日睡眠不足
ねます おやすみーー

2009年12月22日火曜日

原動力

まず今日のスケジュールから

朝8時からごはん→クリスティーナの家で炊き出し準備→バスーラの家建設→炊き出し→買い物→ごはん→雑談

という半端ない一日。
何が濃かったって日中の活動&夜の時間がすごかった。
とりあえず初めてなことだらけ。

クリスティーナっていうのはバスーラの監督とごみ山の仲介人となっている人。
援助物資を届けたりいろいろしてくれている。
ここで昨日買った10きろのスパゲッティとミートソース、ケチャップ、野菜でスパゲッティを作った。
クリスティーナはスモーキーマウンテンの跡地のパラダイスハイツに住んでいる。ここは政府が立てた、ごみ山に住むための人々のための住宅地。ここでも政府のごみ山支援の形跡がみられる。
でも実際、ここに住むのを拒否する人たちもいる。ってのはごみ山に住んでたほうがお金かからないし、住宅地に住むとちょいちょいお金かかるから。

料理中ふっつーにでかいGちゃんがたくさん現れるw

大量につくったパスタをごみ山に運んで、バスーラの家の建設作業!
しかしいきなり壁とか作り始めるのかと思いきや、とりあえず土地の真ん中に積まれている山を崩して場所を平たんにするという任務が与えられる。
げっっと思いながらも、少ないスコップを使いながらやってると昨日一緒に遊んだ子供たちがやってきた!

次から次へと押し寄せる子供たちと一緒に土砂を崩しながら作業を進める。
あいつらほんとーに楽しそうに仕事する。
しかも子供たちの中には朝も昼も食べてない子がいた。
自分たちより小さい子なのに、ごはんも食べてないのに。。めっちゃ一生懸命作業してて、なんかみんな複雑な気持ちになった。






初日は子供たちとどう接していいのかわからなかったけど、今日はだいぶ慣れましたー。
正直いきなり大勢のちっちゃい子に囲まれてどうしていいかわかんなかった。笑


建設作業の途中で、朝日新聞が取材に来ましたー。何人かを取材して、うちらの写真ばっしゃばっしゃとって見学されて帰られました。年始にうちらの活動が朝日新聞に載ります。if everything goes right.
取材の後はたきだし。
作ったパスタを子供たちに配る。
最初はみんなまあおとなしく一列に並んでたんだけだんだんカオスに・・・・。
パスタがなくなるにつれてみんな激しく群がってくる。
なかいさんが最後のほうに配ってたんだけど彼はもうパスタだらけ笑
おつかれさまー

パスタをもらった男の子が超うれしそうにこっち振り返ったのがめっちゃ印象的だった。




夕方は明日クリスマスプレゼントとして子供たちにあげるお菓子を買いにスーパーへ。
これはうちらの企画の一貫じゃなかったんだけどクリスティーナの提案でやることに。
チョコレートとかお菓子を詰め合わせてプレゼント。

昨日の夜、支援している60人だけにお菓子を配るのかどうするのかで議論。
やっぱり全員にはしてあげられないってわかってるけど実際あって仲良くなっちゃうと区切るのはかわいそうって思っちゃう。洋服しかり。むむむ難しい。
でも昨日と今日の様子を見ていると、自分だけじゃなくて他人の分・家族の分もパスタをもらおうとする精神
とかもろもろ考えて60人に限定して渡すことにした。





昨日みたいにまたみんなでご飯食べた。
監督の陽気なジョークも交えて(笑・汗)楽しいご飯だったー


でもことは起こった。
リーダーと監督の間での考えの不一致

悔しい思いをしたリーダー

自分がフィリピンに行く前に監督に初めて会って泣いた時のこと、二回目にあってまた泣いたこと思い出した。

でも悔しくて泣いたのは全然後悔してないし、まあそれをネタにいじられるのは後悔ですが。涙は真実をうつす!みんなそれぞれの原動力を再確認したようで。
自分にとっては懐かしい感覚だったり。

監督にかぎらず、何かをしてる人のすべてを受け入れる必要はなくて自分の尊敬する部分だけみならえば良いと本当に思った。

いろいろある議論のうち、わかりやすい例では例えば、
今日昨日かいたようにうちらは結構子供たちに物をあげている。
それが果していいのか?

NOと考える人たちが多い中、監督はYESである。
YESに至るまでの監督の経験があるから。

それぞれがそれぞれのやり方で、間違ってるか正しいかは自分が決めることで良いと思ったやり方でやる。

本当に人間らしいやり方だ。理屈じゃねーんだ


大学教授志望のK大学の山本さんも井口さんもすーごい熱心にうちらの話聞いてくれて、わかってくれて、相手の意見もわかってて、おとなだなーっておもった。しかし彼は絶対普段はいじられキャラ!
山本さんとは23日までしか一緒にいられない。

一期一会なんてそんなに考えたことなかったけど、今回の旅で身にしみてわかることになる気がする。

そんなこんなで
酔っぱらった、かつへこんでいたリーダーは今ものすごくだるそうにソファーでぐったりしてますw
誰か連れて帰ってあげて☆

今日初めてSPREADメンバーでこういう話してメンバーの違う一面も見れて、本当にありがとう!
明日はもっとごみやまのひとたちのことを知るために家庭訪問します。お邪魔させていただきます。
みんな温かく迎えてくれるでしょう。
今までの印象だと、みんな本当にあったかい。
魅力ある人って目の前の相手を大切にできる人だと思う。



仁義
ありがとう ごめんなさい 

2009年12月20日日曜日

ごみ山に住むということ


ゴミの山に住むこと考えられる??

フィリピンのアロマごみ捨て場には3000人のごみ山で暮らす人たちがいる。
今日その人たちを訪れた。



バスーラという映画監督に同行してもらってる今回のスタツア?では、24日までしか監督はいないけどその期間ごみ山をはじめとしていろんなところに連れてってもらう。その一環としてバスーラの家の建設を手伝う。
うちらの活動としてはごみ山では炊き出し、うちらのおもな活動にする予定だった服の寄付をする予定。

でもこっちにきて服の寄付の必要はないと感じた。
特に、監督が行っている「バスーラ基金」で援助されている60人の子供たちはごみ山の中でも比較的裕福な生活を送っていて学校にも行かせてもらっている。
60人の子供のうちの一人の子供の家におじゃました。
家というかスラムなんだけど中は小ざっぱりしていてきれい。奥さんのみなりもきれいで全然ごみ山に住んでるようにはみえなかった。

選ばれた60人は監督が選んだ将来性のある子供たち。どういう風に判断したかは知らないけど。
60人だけ選んで援助ってのには前なら疑問に思ってただろうけど、
この前のマザーハウスの山崎さんの話で、「一握りの人も救えなかったらたくさんの人は救えない」っていってたのがすごい印象に残っていて、限りある資金や物資の中で人を選ばざるを得ないのは仕方ないことだと思った。

ここの土地に住む子供たちの話。
東南アジアの貧しい土地の子供の写真って見てる人の同情を誘うようであんまり好きじゃなかった。正直。でも今日いってそうじゃないんだなーっておもった!
みんなちょーかわいい。そして底抜けの純粋さをもっていた。

驚いたのはみんな、take photo!っていってくること。
私だったら見知らぬ外国人が来てぱしゃぱしゃ写真撮ってかれたらすごいやだろうなーって思いながら撮ってた。

そして、子供たちの写真を一枚とったあとに子供駆け寄ってきた!!

みしてみして~~~~!!!!

みたいな。
そして腕つかまれたときに初めてその子たちの存在認識した気がした。
今まで遠い土地の貧しい子供たちだったのが目の前にいて本当に生きててこんな汚い所に住んでて
っていうのを実感した。


なんでごみ山はなくならないのか?
ごみ山に毎日何台も何台もトラックで運ばれてくるごみはそこの住民の収入源。ていうのは、そこのごみで売れそうなものをかき集めて毎日junk storeに持ち込んで売ってその日の食料を買う。
完全にその日暮らしをしている。。
以前にスモーキーマウンテンごみ捨て場ってところがあって今より大規模なごみ捨て場だったんだけど、
政府がそこを1998年閉鎖した。
そのあとそこに住んでた人たちが政府に大抗議した結果今アロマごみ捨て場がある。
結局ごみ捨て場に住んでる人たちはごみ山に依存して生きてるからこれがないと生活できない。
完全なる悪循環。。

でも、そこに住んでる人はほーんとうに楽しそうなんだな。
だから何が正しいのかわからない。






今あそこに住んでる人のことかわいそうとは思わないけど、そのままでいいとも思わない。
他の選択肢を知った子供たちがはたしてごみ山での生活を選ぶのか???


物事は事実なんてなくてすべて視点の問題。

だけど思ったのは、ダウンアップじゃ今を変えるのは難しいんじゃないかな。
フィリピンでは結構いろんなNGOとかが活動してて社会を変えようとしてるけど、上は本当に腐敗しているらしい。すべてはMONEY!どうしようもないほどの癒着世襲わいろエトセトラが起こっているらしい。
上が変わらなきゃ難しいと思った。

今日から参加する小倉さん。彼女はフィリピンのネグロス島のNGOでのインターンのために一年間大学を休学。小倉さんがいってたのは、今の現状を変えるにはフィリピン人がどうにかするしかない。
でも肝心のフィリピン人たちは現状を変えることをあきらめかけてる。先進国の人ができるのは、努力すれば変わるっていうところを先導切って示すこと。でも日本みたいに努力すれば報われる社会(まあ日本がそうだとして)じゃなくて、スタートラインが違う人たちがたくさんいるからそれも難しい・・。

だからやっぱ上から変わって制度とかかえるしかないのかな。。と。

体だけじゃなくて頭も動かしていろんなこと知らないと現状を変えることはできないんだと思った。
つまり勉強しろってことw

今日は他にもアロマ仮設住宅、明日の炊き出しのための買い物(カオス)をしました。
ごみ捨て場の詳しい状況はあんまり書けなかったからまた明日!いつも感情が先走って現状を伝えきれないーー。次からはもっと分かりやすく書きます!

他にも、監督、フィリピン大学に留学中の井口さんと関西大学の山本さんと明日からもアクティブに活動します!頑張れすぷれっどー

2009年12月18日金曜日

ついに

ついにフィリピンに明日飛び立ちます
ぴゅーん

今日ねむすぎる。
昨日は一足早いクリスマスした!銀座よかった!銀座ぽくなくてよかった。

いろんな人に協力してもらって服も結構あつまりましたー何キロくらいになるんだろう。
持ってきてくれる気だったのに家においてくるという失態をおかした人もありがとうw


(あー目の前で陶芸サークルのひとがねんどねってるー初めてみたテレビみてる以外の姿笑。つまり私は今アイセックの部室。すいません全く行ってないにもかかわらず。)

どんな団体も目標があると思う。
たとえうちらがまだ「自称団体」でも。
目標があって行動する。
これからのフィリピンでそれが見つかればいいけど。。
まだ出来立てほやほやで決めようとしても何も浮かばないのは仕方ない。
私のトルコ研修みたいに目標とくになしでもあったほうがよかったっておもったーしなー
だから絶対フィリピンから帰ってきたら明確な目標きめよーね


てことで、これだけかくだけで30分かかったー
これから4限フランス事情なり 

2009年12月13日日曜日

一眼レフ

一眼レフ買いました

完全に自己満だけど、とってもいい!!!!!!!!
今日はゆきべ宅でのまゆきバースデーでぱしゃぱしゃKY小僧になりとりまくってたーまじ楽しい!今んとこはピントを合わせるだけで満足♪笑

今日は久々のアイセックメンツで遊んでたんだけど、なんかやっぱちょーたのしかったー

みんな何気に三年生になってもアイセック続けたりMCにいったりLCPになったり。。
アイセックを続けるか続けないか、
決断はyes or noだけどそれまでの過程とかほんとみんな色々考えてたと思うし、
そんなみんなを見てて、自分はみんなと同じ境遇ではないけど、なんかなんかうれしかった!

その決断が最高の選択!!


もっと書きたいことあるけど、時間内からまた今度