2009年12月29日火曜日

日付戻って・・。

書いてなかった分、簡単にだけど載せます。
今日のブログ一個前のに載せてあるから、そっちもみてねー。


24日、25日はフィリピン大学の大学生にマニラ案内してもらった!
来てくれるのはゴリラとギャルって前から言われてたんだけど、まさにってかんじでした笑 だいさんと梓さん。あと唯一ふつうのあだ名のひろぽんさん。あとゲ○のフィリピン人マービン。彼(彼女?)は口が達者すぎる。何度こてんぱに言われたことか。

モールにジープでいって24日はボーリング!!久しぶりにボーリングみんなで3ゲームかけてやって楽しかった!
ゆずると大さんがターキーまであと一歩で惜しかった。ちなみに2ゲーム目のあたしの得点は62。ゆずるの最高得点185!すげー。
その後お酒とかいろいろ買ってホテルで飲み会!!
ちなみにこっちの物価は日本と比べ物にならないほど安い。四分の一~五分の一くらい。
夜はミーティングのあとの気晴らしも兼ねて飲み会。完全に飲みすぎて、あたしかなりめんどくさくなったらしく、まあ覚えてるんだけど覚えてないことにして。。とりあえず次の日は午前中は二日酔い。とんだクリスマス!

25日はジープと電車に乗ってまたマニラの別のところにいってみんなでごはん食べたり話したりした。クリスマスだけあってだいたいのお店はしまってた。さすがクリスマス。でもフィリピン人ってほんとに稼ぐ気ないんだなって思った。笑
タクシーも、「おなかすいたから降りて」って言われたし。確か
タイでも混んでるから降りてっていわれたし、どうなってんだ東南アジア。
この日は夜、ロデールっていうメンバーの知り合いの方に食事につれてっていただいた。その人は大学時代アルバイトしていた飲食店のマネージャーを卒業してから勤めて、その後シティバンクに勤めて、その後国の機関につとめて、その後日本人向けの観光会社のガイドをやっている。とても賢い人で政府の機関とかに勤めてたにもかかわらずやめて今ガイドの仕事をとても楽しんでいる。そして彼は月に3、4度自ら食事を作ってストリートの子供たちに分け与えたり、体が不自由で動けないストリートの人の手伝いをしてる。フィリピン人の上層部の人たちは貧困層に興味がないとよく言われているけど、こういう人もいるんだなって思った。同時に、大学を卒業しても職に就くのが難しい今、好きなことを仕事にできるロデールさんはラッキー&素晴らしいと思った。なんだかんだ日本でも好きなことを仕事にできる人っていないんじゃないかな?うちの母親はそういう面ですごいんだろうなと思った。

26日
午前中ゴミ山にいって午後ダウン。たぶん原因はクリスマスに飲んだ後に布団かけないで寝て夏風邪状態になったこと。。ゆずるに言われたように夏風邪はしつこい。気分悪いのは治ったけどせきがいまだにとまりせん。夜はふつうにホテルでごはん食べて寝る。ちょっと今とまってるホテルについて書くと、今とまってるところはフィリピン大学っていう日本で言う東大みたいなとこの敷地内にあるホテルにとまってて、主に教授とか大学関係者が泊る施設らしい。でも最近のクリスマスシーズンには子供から大人がパーティーしてる。たぶんフィリピンの中では最強に安全だとおもう。全くホテルっぽくないど(てのは、フロントに全く観光情報がなかったり、場所尋ねても知らないって言うし)ごはんもリーズナブルでおいしいし、無線ラン飛んでるし外で爆竹がなってること以外は静かだし、なにげにバスケットコートもついてて、この前ボール買ってときどきみんなで遊んだりしてる。
つまりとっても安心できるホテル。きれいではないが、すごしやすい。特大ゴキブリにちょくちょく遭遇するけど許せる。

27日
朝マザーテレサの家にいく。
インド発祥のマザーテレサの家は別名「死を待つ人の家」
意外にもゴミ捨て場の近くにあった。
建物は大きく二つに分かれていて半分はおじいさんおばあさんがいるところ。もう半分は子供たちがいるところ。だいたいの人が身寄りがなくて障害を持っている。マザーテレサの家にはボランティアさんもたくさんいて、お年寄りの方の場所ではちょうど昼時だったからご飯とか食べさせてあげてた。
子供のほうの建物にいくと、いたのは全員ベッドから動けないような小さい子や障害を持った子。目があらぬ方向を見てる子とか、何話しても反応しない子、ずっとよだれ垂らしてることかたくさん。
最初は自分が来たことが場違いだと思った。ケージにはいってることか、ベッドに寝ていることかを見下ろす形で見学してたんだけどなんかなんて言っていいかわかんないからパス。
日本にも三軒あるらしいから、行こうと思った。
日本では児童養護施設とかを初めとしてそういう施設には絶対出向かないのに、海外にいると何いいこぶってんだろうなー。でも他国の状況って深刻に見えるのって隣の芝は青いっていう表現とは違うんだろうけどなんか違くない気がした。意味わからん。


そこでケニア出身のシスターロザリーナと話した。
彼女は大学を出てすぐマザーテレサの家で働いた。初めはスリランカにいて、今に至り、またスリランカにいくという。この仕事を始めて9年。ステータス的には一番上の青色のエプロンをしていた。
「いやな思いしたらすいません」・・から始まって結構いろんな事聞いたけど、相手の英語がよく聞き取れなかった。笑 でもこういうときにほんとある程度だけど英語使えてよかったなって思う。(やっぱ第三ヶ国語なんかやりたいなっておもった。)
いやでも、すごいなーっておもったのが、女の幸せともいわれる結婚を放棄してまで(今は古いのか?)この世界に入り込んでるシスターのみなさん。毎日四時において毎日五回お祈り。しかも一回一時間。最初のお祈りは五時に始まる。
お祈り中寝ないの?ってきいたら笑われた。
話を一通り聞いてから、彼らにどんな過去があったんだろうっておもった。。。相当虐げられてきたのかなとか。ってのは違うけど、どんな風に育ったらこんな考えを持つんだろうって。
神に一生捧げる???まじっすか?って思っちゃうのは日本人だからかね。

彼らは遠い存在過ぎて尊敬なんて言えたもんじゃなかった。


午後は相変わらず建設作業。
と思いきや。日曜だから大工さんたち働かないとのことで。
子供たちと遊びながら自然とお宅訪問の流れに。
今日はいつもいくゴミ山とは逆方面のほうの子のおうちにいきました。
その子ジェシーっていう男の子んだけど11人兄弟の10人目。
まわりのうちと同様つぎはぎだらけの家に住んでいる。家族が多すぎて、時には外の床で寝るらしい。
でもみんな幸せそうだったな。

なんでだろーあのへんの子供たちと絡んでると、街中の子供があんまりかわいくみえないんだよね。それってやっぱなんかあるよね。




ここにきてもうほんとうに私黒いです。
成人式は真っ黒で臨むことになりそうです。

3 件のコメント:

  1. yo!
    ゆーきです。
    読んで色々感じたのでコメント!
    この前の日記でやる気とシステムが大事だって言ってたけど、俺は教育が一番大事なんじゃないかと思う。
    貯金しないって言ってたけど、貯金っていう考え方も、きちんとした教育があるからそういう考えが生まれるわけで。

    お金がなくて、子供を大学にいかせているのがいるけど、そのお金がない原因は、貯金って考え方がないからってだけなのかなぁ?やっぱりお金ないんじゃないのかなぁ?
    確かに貧困を完全に防ぐのは、難しいしおせっかいに感じるけど、やっぱり必要なことだと思うよ。

    先進国の役目としては、物資供給で終われせるのではなく、システムを作り、子供の教育にお金を注ぐことだと思う。まぁ、あくまでも個人的な意見だけどね。

    あ、ゆーこのブログリンク張らせていただくんでよろしく!

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  2. あけましておめでとう!

    優子の毎日が充実過ぎて、私の毎日がクソ以下にしか見えません…。今日は元旦だというのに…。

    写真はpicasa使うといいかもー☆
    検索してみ!picasaって!

    あと少しだね、フィリピン!
    一つ一つの経験が優子の思考回路を変えてってるってことがすごい分かるよおー。最近ただただ、海外に飛び出すことに否定的になってたけど、非日常を作り出すことで脳に刺激が与えられるってのはいいかもね!私の脳も一緒に刺激をもらってます!

    最後まで気を抜かずに、そんで気をつけてね><
    しっかり日本まで帰ってくるのよー^^

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  3. 私もブログ読んでたよー★

    私ね、前にボランティアやってた時にすごく苦しくなっちゃった事があって。
    例えば中国の恵まれない子供達は助けるのに隣の国ミャンマーのサイクロンはほっとくの?とかそんな疑問を自分に抱いちゃったんだよね。

    でも、優子ちゃんが紹介した言葉「一握りの人も救えなかったらたくさんの人は救えない」て言葉に涙がポロポロでて来ちゃったよー><

    いろいろ考えるきっかけくれてありがとうね!!

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