2012年8月23日木曜日

えへへ

ちなみにさっきの写真はアザミではありません!

なーつがすーぎー

なーつーがすーぎーかぜあざみー あざみっていいなーなんかきれいだなー はーちーがつーはー夢花火 あーーーあーあー 本当にこんな花みたいになりたいなぁ!

2012年4月2日月曜日

wow its been years...

ブログ、かこうとおもって、書いてませんでした。
だって一番色々かきたかったネパール、計画停電しててほとんどネットつかえないんだもん!
首都でさえ一日3−5時間しか電気通らないって考えられる?られませーん。
そして明日から仕事はじまるって。それも考えられませーん。
そしてもうねなきゃいけない時間なので読んでくれてる人には申し訳ないけど自分への記録として浮かんできた事をぶちまけます。よみにくくてわかりにくくてごめん。

結局、チベットは中国が3月10日のuprising dayを懸念して4月まで入国禁止にしてました。(チベットの場合正式には入「境」という。国ではないからね。)
今回は一人という事で、ほんとに色んな人と接する機会があった。多分一人じゃなかったらこういうことにはならなかったと思う。特に嬉しかったのは、インドからネパールにいくぽんこつバスの中でイギリス人のおっちゃんに会って、その人が偶然チベットの難民支援をネパールでやってたこと。そしてチベットにいけないことが数日前に判明した私には、本当にラッキーな出会いで、彼のもとで2週間手伝わせてもらったこと。
客観的に見たらすごく珍しい機会に恵まれたんだけど、手伝ってる間はそれをしてることが本当に自然で、特別とか思わなかった。おっちゃんはリチャードといって、今はタイにくらしてて、(タイではドキュメンタリーの監督をしているらしい)40年くらい前にネパールとイギリスでトレッキングの会社をして、イギリスで事務をしながらも毎年何回かネパールにして山登りをしていた人。彼は現在一人でTrek Aid (http://www.trek-aid.com/)という非営利団体(団体?笑)をしている。タイでfund raisingを西洋を相手に行い、年に二回ネパールに訪れチベット難民の支援を行っている。団体とはいっても一人で全てやっている。彼のやり方は、年に二度訪れるときにある程度の金を用意し、難民キャンプの代表たちに必要なものやイベントやトレーニングなどを提案してもらいそれに金を渡す。もちろん西洋のドナーに金の使い道の説明責任があるので、簡単には金はあげない。でも、彼は自分から提案したりはしない。(あの時は気付かなかったし、むしろ自分から提案しないことに対してある意味passiveな印象を受けたりもしたが、あとから、タージであったイスラエル人にこの話をしたときにこう言われた。「多くのNGOが勝手に提案し勝手に実行しているのをみてきたから、リチャードが難民たちに提案させてそれに金を渡すというやり方は面白いと思う」)もうネパールに40年もいるから現地のチベット人とはもうかなり親交がふかく、なにやるにも相互に助け合い、一人でやれている。更に、チベット人の女性を戸籍上なのかどうかわからないけどadoptしている。その女性、Chimeは明るくてまっすぐでおちゃめな人だった。初めてリチャードにあったとき、「you have something similar to my sister」といわれたのを今思い出した。あんないい人じゃないとおもうけど、そういう印象を持ってもらえたからこそ、あそこまでやらせてもらえたんだと思ってる。大金の管理から、ドナーへのレポートの執筆からその写真撮影までやらせてもらって、すごく嬉しかった。

もう時間ないから、明日の朝余裕があれば仕事内容をもっと書こうと思うけど、この経験からのoverall impression and thoughtを書き残しとく。
まず、フィールドワークが多くあったこの仕事が私は好きだった。医療費補助の仕事があったんだけど、そこで多くのチベット人と面談したり、訪問したりして家にあがらせてもらったりして、生活を見れたことがすごく嬉しかった。そして、補助金を渡したときに泣き出す人、手を合わせて感謝してくれるひと(私なんか何もしてないのに)に会えたことが印象に残っている。
チベット難民キャンプ内にもいろんな家庭があり、それなりに裕福な人からかなり貧乏な人まで様々。でも難民キャンプ自体はもう50年以上も存在しており、人が創造するような数ヶ月前に人がきたばかりで人々が荒れ狂ってるような難民キャンプではない。だからもうキャンプとはいってもできあがってる村にもみえたりする。だからこそ、普通では非日常と言われるようなチベット人の国外逃亡生活の現実はもう日常になってしまっている。そういう風にネパールの一部としてなじんでしまってるからこそ、普通の村に見えるからこそ、見落とされるとどうしようもなくなってしまう家庭が多い。家族にはそれぞれの事情があり、コミュニティにはいっていってそれを見つける事が必要になるとリチャードはいう。
そういう視点を持ち、助けているというおごりもなく対等に相手と接する姿は、そうあって当たり前なんだけど感銘を受けるところだった。自分もそうありたいと思った。
そして思ったのは、この活動を何十年も続けてる、続けて来れてるのは、彼が必ず毎年ネパールに戻ってくるから。いつ戻ってきても大丈夫なように家があり、家族があり、長年連れ添った友達がいる。からこそでsustainableにできる活動なんだとおもった。よく問題視される、その場だけの援助、があるけど、ずっと続く援助をするには(大きい団体は例外として)「活動基盤(家)、家族、コネクション」が必要でそこに根を張るくらいの気持ちじゃないと絶対にずっとは続かない。いつかは切れてしまう。ちなみに何故りちゃーどがこの活動を始めたかというと、彼に言わせると"almost an accident"である。(そんないいかたも好き!笑)彼は仏教徒なんだけど彼のguru(師匠)に命ぜられたんだって。彼の言う通り仏教は"more like a philosophy, not a religion"だから、宗教に導かれたというよりは、尊敬する人からの命令を忠実に守った事が始まり。
あとやっぱね、あやさんのやってるフーヒップ(http://www.phu-hiep.com/)だったりマザーハウスだったり、こういう仕事はすごく憧れる。今回の仕事はビジネスでなく完全なcharityだったけどそういうところで将来は働きたいなと思った、し、初めてそれが淡いゴールになったような気がする。そういう小さな考えを頭の中に定着させるきっかけになったことが今回の旅で一番大きいと思ってる。明日からはファイナンスの仕事です。しゅあがメールでdevelopment organizationでのファイナンス職のポジションに関してのメールを送ってくれただけど、そういう仕事に将来したいと思う。こういうdevelopment organizationで働く場合、大体3-5 years of experienceが求められるみたい。そして大学院だけど、別に大学院が必要か必要じゃないかわからないけど、大学を4年で卒業した分一年はそういう時間をとっても良いんじゃないかと思ってる。
こんな色んな「思ってる」がどう社会人の数年で変わるかは怖いところであり、楽しみなところでもある。
いつもその時思ってる事を書いておく事はいつか振り返ったときに自分の助けになるでしょう。多分。


そして、最後に本文とはまったく関係ないけど、最近some of my great friends are striving to achieve (or to figure out) their goals. それだけじゃなくてfbとかみてると周りには勇気のある人が多いなと思い、友達からもばかにされるレベルで知識がなくいろんなことに興味もない自分と違い、頑張り屋さんの彼女たちには尊敬の念を感じると同時に焦りも感じる。これからも期待してます&お世話になります。笑

ってなかんじでそろそろねまーす。一分間スピーチ考えなきゃ。まじで。おやすみなさーい。

2012年2月7日火曜日

明日のジョー

インドもしかしたらチベットに行きます。
ただの旅行になりそうだけど、数十万かけていく旅が自分のものだけにならないようにできれば良いと思います。

インドってyoutubeで検索したら上のほうにヒットしてきたもの。
インドの女性が巻き込まれる性産業
http://www.youtube.com/watch?v=iw-qZy3RTxo

どこに旅行にいこうとおもって、世界地図を見てたときに、「安全」を旅行するにあたって意識しないでいける国っていうのが少ないと思った。

地図を広げてアジアー中東をみてみると
http://atlas.cdx.jp/nations/asia/asia.htm
この国の中から、気兼ねなく女一人で旅行にいける国って何個ある?
私は、未知からの勝手なイメージもあるかもしれないけど、どこも何かしらの負のイメージがついてきた。
更にアフリカのほうまで目を広げると、どうだろうか。

日本でも危険を感じるところはなくはないんだろう
でも基本的に真夜中でも一人でぶらぶらできるよね。
売られる心配のない国

日本で危ないっていったら、関西のあいりん地区とか有名みたいだけど。
そういえばこの前山谷にいってきた。明日のジョーの最初の方の舞台でもある。
差別されていた人たちが住んでいたことで有名な場所なんだけど、現在は日雇い労働者が集まる場所なんだろう、一泊2000円「全室個室、カラーテレビ付き」とかの格安ホテルがたちどころに並んでいて、それの大半が「満室」
海外旅行者が安宿を求めて最近はきたりしてるらしくて、トランクを持った外国人とか何人かみかけたけど、彼らが好んで泊まりたがるようなところではなかったかな。それより、中年の男の人がママチャリにのって、ゆっくり(このスピード感は印象的だったな。いそぐでもなく、かといってノロいわけでもなく。あてがあるのかないのか。)町をこいでるひとのほうがたくさんみたかな。
昼間にいったにも関わらず、たくさんの店にシャッター。
ウロウロする中年の男の人。
商店街の入り口にたむろするホームレスがジロジロみてくる。
まあこんなかんじ。

日本の貧困は私がちょっとだけお邪魔させてもらったアジアの国とかの貧困と比べると、かなり良い方。
ただそれは、名門大学に通う私からしたら、「よかった」っていうことになるんだけど
でも商店街に寝転んでたホームレスからしたら「だからなんだ」。小規模でも大規模でも貧困に生きてる人は文字通りその数だけいる。

地図をみて、私が負のイメージをもった場所。そういうイメージを持つ原因は大きく分けて戦争と貧困だとおもう。宗教とか腐敗政治がひきおこす戦争。それと貧困。
なんで貧困になるのか?
答えは色々あると思うんだけど、貧困は雇用がない/あっても正当な給料が払われてないからだと思う。
当たり前だけど完全な自給自足ができない限り、人は何かしらによって金を与えられて生きる。その一般的な方法である「雇用」が不足しているから貧困者が多い国がたくさんある。
貧困の場所に、人の数だけ安定した雇用があったらどうなるんだろう。

友達で東南アジアで女を買ったってひとがいたけど、ちゃんとその人にお金がいけばいいのかな。
好きじゃない仕事をしてる人なんて世の中に五万といるんだから、それに見合った対価が払われればいいのか?

物があふれる中で人が最も傷つかない方法で雇用を生む。
供給があふれる中で、同じものでも何を買っても良い中で、職業を選ぶ特権のある私たちが何を買うかはこれからを大きく関わると思う。
http://www.phu-hiep.com/
http://www.mother-house.jp/
こういうことを始める力のある人を私は尊敬するなぁ。


てかここで書いてる事は自分でもよくわかんないで書いてるし間違ってる事も言ってると思う。友達に、何が言いたいのかよくわかんないとかも言われる。かとおもいきや、絶対見てないと思ってた高校の友達から感想のメールがいきなりきたりする。アクセス数とか見ると、このブログ見てる人がいなくもないみたいだから、読んでなんか思ったらなんでもいいから言ってほしいと思います。

2012年1月11日水曜日

Naive

今メディアで卒論書いてる(書いてる?)
テーマはソーシャルファイナンス。
ソーシャルファイナンスってのは、銀行が預けてもらった金をsocially goodなことに融資すること。
例えば社会問題解決を目指す機関に融資だったり。
大企業とかじゃなくて信用が低い個人だったり名のない機関に対して少し高い金利を設定して金を貸す。
ヨーロッパとかでは、自分の預けた金がどのように使われる買って言う事に関心がある人が増えてきていて、こういう仕組みが成り立っている。ソーシャルファイナンスもマイクロファイナンスと似てて、金融サービスを受けられる人々の範囲を広げたって意味で画期的である。
日本ではほとんどといっていいほど広まってない(NPO momoとか、非営利な物なららいくつか。ミスチルとコラボしてるAPバンクとかは有名だね)けどソーシャルファイナンスの日本での可能性について見てる。

留学から帰ってきて半年以上。
おかげさまで、ほんっっとうに色んな人に助けてもらって、就職も決まり、あと試験と卒業のみ。最近はわりかし楽しい生活を送ってて、酔っぱらって終電逃したりもしばしば。なんか「安住」してる。楽だ。
ただ、就職=自分の未来を考えて、未来に夢を託して、「今」は何もしなてこなかったなと思う。
現実と言い訳の狭間で良いところに就職して、4月から社会人になるわけで、社会人になる事は大事な事で、私的に人生でやらなきゃいけないことが4っつくらいあったとしたらそのうちの1つはチェックマークがつく気がする。

人生を二つのタイプに分けるとする。
攻撃と防御
攻撃するにはうまい防御を身につけて安定した土台で攻撃するのが良いんだろう。
だから防御は必要。
でも防御をして、安心してしまうことが、多い。
丈夫な鎧を着てそれが重くて動けずにいるか、その鎧を身に着けて戦いに出るのか。
鎧を身に着けずに戦いに出て刺されて死ぬのか。
戦いに出るのが人生の目的なら、後者でも良いと思う。
私は就職して、多分これから防御を身につける。

鎧を着ずに無防備でいつ刺されるか分からない状況に立つ事は、これからあるんだろうか。怖いんだろうなー。
そういう世界があるのを知りながら、その覚悟ができていないことをNaiveとよぶんだと思う。

別にすごい事したいとか、そういう願望はないけど、「こういう状況だから、自分の望んでた環境にいる事ができない」っていうのはないように。チャレンジできる環境にいるのに、しないのは無責任と、私がトルコにいるときに誰かが言ってくれたけど本当に無責任。
自分がhandleできるスケール以外で計る必要はないけど、一度は攻撃してみないと、無責任で終わっちゃうんでしょうか。
責任と言えば、社会人になったら自分の責任以外にも3重くらいの責任が輪になって重なるってくるんだろうな。笑 鎧+おもりじゃ、動けないかー。

そんな鎧なしの、ヒヤっとした経験をテストが終わった後のの旅行で少しできれば、今はやり残した事はないってことにして4月を迎える事ができるんじゃないでしょうかと言い聞かせてる次第でございます。

ポジティブにーポジティブにー

2011年12月1日木曜日

12月おめでとう

なんなんだこの異常な数のしゅーかつサイトからのメールは!!!
12月1日になんかが解禁になって、今日だけで20通くらいメールがくる。。


この前の電話面接
某企業の財務のプログラムとの面接だったんだけど、面接してくれたHRの方の質問にオヨヨ。
「なんで開発に興味もって、投資銀行でインターンして好きじゃなかったからって、財務なんですか?あなたが興味あることってどっちかっていうとマイクロファイナンス的な市場型金融でしょ?本当に財務をやることが自分のやりたいことなの?」
面接中、なんでこんなこと最終面接になってつっこまれるんだよっていう気持ちと、ここまで相手の事考えて面接するこのHRの人ほんとすごいなーという思いで泣きそうになった。笑 

やりたい事やれば良いじゃん。前までなんか偉そうな事書いてたくせに。って本当にそうなんだけど、
私 ①知識も②経験も ない!
①じゃあどんな知識が欲しいの?
多分今は金融だと思う。(今更か。)
私自身hands onで何かをやりたいって言うのはあるけど、何も知らないままNPOとかの世界に入るのは怖い。
今は、ソーシャルファイナンスに興味があるような。なんかヨーロッパとかでは結構普及してるっぽい。イギリス、オランダ、フランス。
どんな方法であれ、何かをしたいって思ってる人に対して、お金を供給するのってすごい楽しそう。完全イメージw
と、すると私は投資家になりたいってことなのか!!
じゃあ、金融にいくのがいいんじゃん!そうすると銀行なのか?やっぱり投資銀行なのか?もしくは投資機関みたいになってる商社?わからん!あと一緒に働く人も素敵な人がいいなー!そしてどっちかというと何やってるかよりどういう人がいるかのほうが気になるんだけどね。後数ヶ月したらこんなこといってらんなくなるだろうから、今書いちゃえ!


あの電話面接のあと、国際協力系の本を何冊か借りて読んでた。
(※ちなみに最近得意の中庭は寒いし出没率低いから探さないでください。)

ってことで、今読んでる本でThe Blue Sweaterってやつ。
http://www.acumenfund.org/bluesweater/
この人の本からは、「裸でも生きる」の山口さんと似たような勢いが伝わってくる。共通点は多くて、若い頃苦労してて、それに対して自分でむっちゃ努力して乗り越えてきた。あと、何かを自分でやったっていう実感を強くもってるところかなー。
彼女も山口さんも、金融機関で経験があって、なんとなーく自分もそういう方向に行ったら良いんじゃないかなと思っている。

じゃあ次。
②どんな経験が欲しいの?
今興味あるのは、どっかアジアにいってどっかで働きたいと思ってる。しゅーかつでトルコの話をかなり美化して話してはいるけど、実際に本当に終わりそうな組織に行ってみたら面白そうじゃん笑 どこまでできるのか/できないのかはもう少し学生のうちに知りたいなとは思う。って思うと、もう少し学生も悪くないかなとか思いつつ、実際社会にでないとなんもわかんないじゃんとも思う。後者のほうが強いかな。

まあ今回の面接で学んだ事としては、くじをひくみたいに目つぶって手に取った専門分野を勉強していけばなんかどっかで役に立つだろうって思ってたけど、そんなうまい話はないみたいで。。
しかしああいうつっこみをされて、更に行きたいなとか思ってるってことは、やっぱ行きたいんだね!ぎゃーん

今年卒業するにしろ、しないにしろ、怖いわ!笑 
普通に半年かけてしゅーかつするのもやだし、かといって全て放棄してどっか行くのもやだわ!

アメリカ行く前にしゅーしょく決まってて、何も考えずに遊びたかったなー。。

2011年11月21日月曜日

くいしんぼう

ゆうこって食いしん坊だよね。

意味のある研修を求めてる割には文句が多くなって環境のせいにしちゃう。
自分ですぐ解決できない事まで抱え込んで考えて不満持って破裂しそうになる。



トルコは大変だったなーと今更思った。
不満もって破裂しそうだった自分が懐かしいと同時に、そう今感じない事が、良いことなのか、悪い事なのか。というかんじ。