2011年2月1日火曜日

ホワイトハウスの前で。

今日は一日DC観光ー!いえーい!
昨日は一日風邪ひいてたからサムのいないサムのうちで休息。笑
飛行機delayしすぎ。。。。飛行機の中で二時間半も待たされた。さらに乗り換え時間あわせて五時間くらい待った。→待ってただけなんだけど、風邪こじらせた。
サムは一緒にキューバいったひとね!ちなみに彼はゲイなのでご心配なく。
彼はヨルダン大使館で働いてるエリートですのよ!なのでDCのとても立地がいい場所にすんでるんですの!
うらやましいこと。

DCはきれいですね!丸の内をもっと伝統的にしてもっと広範囲にした感じ。
夜なんかはもっときれいそう。一人で出歩くのは怖いので早めに帰宅してサムとご飯たべにいきます。
メキシコにいって気づいた一人旅の良くない点は
1夜一人で出歩けない。
2食べ物共感できる人がいない。
一人だと結構一人で行動してる人と仲良くなったりするから2は改善されるとして、帰路とかはやはり一人だと怖い。
すべてに過剰反応してしまう。

明日はミドルベリーの友達と市内であって食事して、夜はDCでインターンしてるmiddの子とサムとまたご飯。
なんか暇になりそうなDC旅行だったけど、いいかんじになりそうです。そっからバスでNYにいく!初NY。そこに4、5日滞在して帰郷。

今日衝撃的なことがあったから、ちょっと書き残しておこう。
まあDCといえばホワイトハウスですよねってことで一枚写真でもとりにいこうかなとおもって行ってみた。
そしたらホワイトハウスの前で原爆反対運動を30年間行ってるおばさんにあった。相方は政府に殺されたらしい。反対運動をしてたために彼らは30回以上捕まえられて、
おじさんは数年前政府に殺されたらしい。私はその道ばたのおばあさんの話を信じた。
おばあさん歯が何本もなくなってて、捕まったときにおられたらしい。また、髪の毛も、ヘルメットにヅラをかぶって、いつ教われてもいいようにしてた。
(ちなみにこのおばさん華氏911にも少しでてくるよ。イランで息子を亡くした親がホワイトハウス前で泣きじゃくるシーン)

原爆って今いったけど、彼女が訴えてたのは原爆も含めた、ウランその他をつかった有害物質を含んだ武器。なのかな正確には。
前、フォトジャーナリストの講演会でこのこと取り扱われてたけど、今日ほどはショックを受けなかった。

小さな汚いテントと看板二つの規模は小さい抗議だったけど意私みたいな人にも少しの気づきをあたえられるってすごいことだと思った。そして村越先生と電話したとき話したことを少し思い出した。いいたいこととちょっと違うことだったらごめんなさい。笑
(私はこう解釈しました。)
別に大学院でなくったってできることたくさんあるし、むしろ大学院いってないからできることだってたくさんある。
自分ができること、私のいいところを生かしてできることをする方法を考えてみたらどうかって。
Jタームの反省もふまえてこれもあとでかければいいな。。時間があれば。。

おばあさんもそれが自分のできることだっておもってるから、だからずっと30年間も続けて来れたんだろうなって思った。

そして、またびっくりしたのが、ホワイトハウスの真ん前で、警察の真隣で、アラーに祈り始めるおじさんが現れた。
明らか反抗的な態度だよね。でももう反抗するにはそういう方法しか残されてないんじゃなかったのかなって思った。
私がおばさんとはなしてる間中大声でずーっと祈ってて、私が去るときもまだやってたから一時間くらいかな。。。
ブログにあとで写真あげると思います。

ってか、何がいいたかったかというと

誰からみても正当な、常識的な意見が「ホワイトハウスの目の前」っていうそんな近い所なのに、
耳を傾けてもらえないばかりか弾圧されている。


全国、そして全世界の弱者の聞き入れられない声がホワイトハウスの前で渦になって巻きあがってるような気がした。

ほんとに理不尽な権力者のための社会。
そして自分もいつかその一員になるのか??

って悲観するのは簡単なんだけど、そっからどーすればいいのか、それはまだわかんないです。



あっ、あとMFICにもいってきた。
今日はしゃちょーいなかったけど、明日はいるって。
まじで、あえたらどうしよう。。。。。。。。。実は何話していいかわかんないよおおおおおおおおおおおお
手紙残してきたんだけど、間違いをふたつした
1相手の名前を書き間違えた
2訪問のもんの字を間違えた


。。。。。。。。相当心の広い人であることを願うのみ。

今日はおわり。

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